心療整形外科

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2005年 02月 10日

感覚としての痛み、情動としての痛み

「痛み」には感覚としての痛みと情動としての痛みの二面性があります。

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押しピンを踏んだとき「痛い!」と感じるのは「高閾値機械的刺激受容器」→Aδ繊維(赤い線)→視床で中継→大脳皮質知覚領野(速い痛み)

これは「感覚としての痛み」で、その痛み情報が届くと反射的に足を引っ込ませます。これはあまり個人差がないものと思われます。修行を積んでガラスの破片の上を歩いたりするのをTVで見たことがありますが、意識をしないときはどうなんでしょうか。感覚としての痛みが臨床的に問題になることはまずありません。


臨床的に問題になる痛みは「情動としての痛み」です。これは、ポリモーダル受容器→C繊維→脳幹網様体→視床→大脳辺縁系→大脳皮質知覚領野(遅い痛み)

痛みの電気信号は大脳辺縁系でアレンジされ大脳皮質知覚領野Aに到達します。その情報を判断し反応する脳Bがまた別に存在するわけです。

痛みの電気信号を受信する脳Aに全く電気信号が届いていないのに認知・反応する脳Bが痛みを認知することがあれば、これが「純粋な意味での心因性の痛み」というのでしょうか。臨床的には判断つきません。

受信する脳Aに1の電気信号が届いているのに認知・反応する脳Bは100の痛みを認知することもあるのです。「心因性の強い痛み」とでもいいましょうか。

このような脳内における電気活動が定量化できませんので「心因性」という言葉は誤解される可能性が強く、使わないのがいいと思います。

次第に痛みが強くなっていく様子を数字で表現すると

発痛物質の量:1→ポリモーダル受容器→C繊維→受信する脳:1→認知・反応する脳:→交感神経緊張:3→発痛物質の量:3→受信する脳:3→認知・反応する脳:→交感神経緊張:5→発痛物質の量:


このように、どこにも「構造」というファクターがからんできません。痛みを治すには「認知・反応」を改善するか、交感神経の緊張を緩和するか、ポリモーダル受容器が発痛物質に感作されるのを止めてやればいいのです。
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by junk_2004jp | 2005-02-10 18:02 | 慢性痛 | Comments(5)
Commented by keisyan at 2005-02-10 18:39
エビンの中学生の理科に影響された?(^^ゞ
でもこのように数字で表すとわかりやすい。発信される痛みが 1 でも受信するときには 3 になり認知するのが 5 ですか^_^; で次には受信が 10 で認知が 20 になる可能性もあるわけだ(ーー;)
Commented by junk_2004jp at 2005-02-10 22:13 x
その流れで書きました。受信する脳と受信した情報を解読、反応する脳があるということです。おそらく受信までは個人差は少ないのですがそれを解読、判断、反応に個体、文化、環境の差があるのでしょう。
Commented by sansetu at 2005-02-11 09:39
私は鍼灸施術の直後効果を確実に出すことを重要視しているのですが、実際には直後効果の出にくい患者さんもいます。もちろん施術の適応性や技量の問題もあるのでしょうが、鍼灸をして瞬間的に細胞内の発痛物質が化学的に解毒・中和されたりする、ということのない限りは(その可能性もあると思いますが)、「反応する脳B」の痛みの「認知量」を軽減させるということになるみたいですね。で、そういう働きがもともと人体の体表にある経穴の作用としてあるということでしょう。また、情動としての痛みが強ければ強いほどに、劇的な治癒効果も出せそうですね。
そして私が最も興味あるところは、ストレス性患者に、言葉を用いて正しい認識を与えずとも、つまり心療を行わずとも、体表への物理刺激だけで痛みを減少・消失させることが実際にできるということなのです。しかしまた、いかに私が無言で施術をしようとも、その行為そのものが患者にとっては「心療効果」となっている場合もあり、どこまでが純粋な物理的効果とは言えないとも思っています。でも今回の先生の説明で、薬を使わない鍼灸で何故、瞬時に痛みが取れる場合があるのかという疑問への科学的な解説が可能であると思いました。
Commented by junk_2004jp at 2005-02-11 10:34
心身相関なのか心身一如なのか

心身相関=Mind-body correlation 西洋的

心身一如=Mind-body unity    東洋的

ですね。身(み)とこころを分けること自体ナンセンスなのかもしれませんね。
Commented by sansetu at 2005-02-11 13:59
>身(み)とこころを分けること自体ナンセンスなのかもしれませんね。
脳SFの世界は、SFではありますが、同時にそれを完全に否定することは不可能な哲学的な世界でもあります。
心も現象(あらゆる個人の経験)もすべては脳のパルスの産物でしかないことは事実です。であるならば、心身一如にもう一つ要素を加えて「心身外界一如」でしょうか(笑)。そして医療もそれを踏まえたものにすることの方が、むしろ、より現実的と言えるような気がします。


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