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心療整形外科

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2005年 08月 18日

慢性疼痛を困難な問題にしてしまっているもの(1)

はじめから慢性である疼痛というものはほとんど存在しないといってよいであろう。はじめは急性であった痛みが、何らかの理由で慢性化してしまったといえよう。

そのもっとも大きな理由は、われわれ治療者が急性のうちに痛みを治癒せしめることができなかったからということであろう。科学の粋を集めた現代医学の方法をフルに動員しても、一人の患者の頭痛を完治せしめることが困難な場合が少なからずある。われわれはそれを医学・医療の敗北と考える前に、謙虚に自らの足許をよくかえりみてみる必要がある。

ここでは、まず慢性疼痛の治療が困難である理由について考えてみたい。

1)慢性の痛みの苦しみは、他者には理解しにくい

すでに述べたように痛みというものはそもそも主観的事実であり、現在のところ痛みの客観的な計測はできない。例えば50㎏痛いとか、赤い痛みとか表現できればお互いによくわかるのだが、痛みの客観的表現は困難である。さらに、慢性の痛みではさまざまな痛みの増幅因子が働いており、痛みをいっそう複雑なものにしている。それが慢性の痛みをいっそうわかりにくいものにしているといえよう。

そのため慢性疼痛患者は、自分でも、何をどう表現してよいかわからず、比喩的な表現を用いたり、本人以外にはわかりにくい独特な言いまわしをしたり、また大げさな表現、逆に、過小な表現をしたりする。

さらに、痛みの局所が不明瞭であったり、不定であったり、移動したりすることがある。

また、診察時には、時に圧痛や、運動痛などが明瞭でないこともある。これらは、解剖学的な診察(特に神経学的な診察)では納得のゆかない場合も発生する。

時には、いわゆる鎮痛剤や神経ブロックに反応せず、治療者を困らせたり、また反応しても副作用が強すぎて、使用できない場合もある。

一方、慢性疼痛では疼痛以外の種々の不定愁訴を伴うことも多く、むしろ心理的反応が前面に出てしまうことも多い。

こうした場合、治療者の態度も大きく治療の効果に関与する。すなわち、治療者が、このような複雑な慢性疼痛の患者をどういう視点を中心にして、どの程度受けとめるかが治療上の重要な要素になる。治療者の“疼痛観"(例えば“死生観''などと同じレベルで)がその患者の今後の鎮痛医療に大きく関係してくる。これは、むしろ治療的自我(therapeutic self)レベルの問題である。
 
バリント療法ー全人的医療入門   監修:池見酉次郎  編集:永田勝太郎
                       医歯薬出版株式会社


痛みは急性期に治すべきである。そのためには、痛みの正しい知識の普及が是非とも必要であるが、医師の再教育、マスコミ対策など問題が山積み。慢性化してしまった痛みに対しては今後の研究に期待。




by junk_2004jp | 2005-08-18 20:55 | 慢性痛


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