ですから、いまは人間が不安になることは、まったく自然なことです。こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、あるいは素直な人ほど、自然に不安を抱えている。その不安をどうしようもなく持て余している。そんな時代なのです。
とすれば、不安であるということは、その人がまだ人間的である、ということでしょう。逆に、まったく不安を感じずに生きているということは、その人が非人間的な生きかたをしているということです。
振り返ってみると、ぼくにもずいぶんいろいろな心身のトラブルがありました。腰痛でも悩んできました。右手が腱鞘炎で全然利かなくなったときもあった。力を入れて書くため、頭を右に傾けるのが原因で、頸椎がむち打ち症のような状態になったこともあります。不整脈があったり、心臓の鼓動が急に早くなったり、しばらく下血がつづいたり、そうしたこともいろいろ起こりました。でも、それをとりあえず受け入れるというような気持ちでいたので、あまり不安はなかったのです。
腰痛、腱鞘炎、頸椎症、不整脈、頻脈、下血(潰瘍?)いずれも心身症ですね。心身症がいろいろな形をとって一つ治れば、また一つと、あばれまくったということです。
腰痛は、脊柱管狭窄症とかヘルニアとか辷り症とか分離症とか椎間板症とかいう構造的な所見の病名が付けられるのです。頚痛もそうですよ。
だから話がややこしいのです。痛みは心身症なのです。構造病名は痛みの診断名ではないのです。そのような構造でも痛くない人はいくらでもいます。
抑うつ、不安、怒り・・・心身症を起こします。